池袋駅(いけぶくろえき)は、東京都豊島区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東武鉄道(東武)・西武鉄道(西武)・東京地下鉄(東京メトロ)のである。 山の手エリア3大副都心の一つ・池袋に位置するターミナル。全体の1日平均の利用者数は約264万人であり、年間に直すと約9億6420万人となる。各社内
134キロバイト (13,175 語) - 2019年6月21日 (金) 11:45



(出典 jinseiichidokiri.com)


池袋も似たようなもんだけどな

1 スタス ★ :2019/06/25(火) 21:45:25.01

ダサくて、消滅しそうな池袋が「住みたい街」にすっかり変貌したワケ
 近年、池袋が注目のまちになっています。大手不動産検索サイトの住みたいまちランキングでは上位にくることもあるほどです。

【写真】思わず息をのむ、超高層ビル「サンシャインシティ」からの絶景(30枚)

 池袋はこれまで「治安が悪い」「ダサい」といったマイナスイメージが強い言葉で語られることが多く、2014年には池袋を中心にした特別区、「豊島区」が消滅可能性都市(少子化などを原因とした人口減少が進み、将来の存続が危ぶまれるとされた自治体)になったこともありました。

 では、なぜ最近になって池袋が注目のまちになっていったのでしょうか。そのイメージの変遷を追います。

 山手線の西側にある3つの副都心、渋谷・新宿・池袋。このうち渋谷と新宿はもともと、街道沿いの街でした。対して池袋は明治時代までまちらしい場所ではありませんでした。

 池袋が発展するきっかけになったのは1903(明治36)年の池袋駅開業です。当時の写真を見ると「原野」と呼べるような何もない場所に駅が設けられている様子を見ることができます。

 その後は東上鉄道(現在の東武東上線)や武蔵野鉄道(現在の西武池袋線)が池袋をターミナルにし、池袋発展の礎が作られていきました。

 第二次世界大戦以降になると池袋は大きく発展しますが、それと同時に池袋のまちのイメージも作られていきます。

 まず終戦直後に闇市が大きく発達します。闇市は各地で形成されますが、池袋はその整理が他の街に比べて大きく遅れてしまいます。そのため、池袋には闇市の暗いイメージが持たれてしまいました。加えて、現在のサンシャイン60のある場所には東京拘置所があり、イメージが強化されてしまいました。

 その後、新宿・渋谷と共に副都心構想による再開発が推し進められていきます。この時特徴的だったことは池袋のまちが面的に広がっていかなかったことです。

 駅周辺では区画整理が行われ、駅に直結する西武百貨店や東武百貨店などの進出が進んでいたとはいえ、大規模な再開発事業としては、駅東側でサンシャインシティの開業が1978(昭和53)年にあった程度でした。そのため駅ビルばかりが栄え、「駅袋」という揶揄の言葉も生まれました。

 このように池袋は面的にまちのイメージの一新がされなかったため、「地味」「ダサい」という言葉が池袋を語るものとして見られるようになってしまいます。そして、こうしたイメージは駅至近に商業施設が集中する「駅袋」状態が長く続いたため、長らく一新できずにいました。

池袋が脚光を浴びるようになった3つの理由
 そして2000年代になると池袋が徐々に脚光を浴びるようになっていきます。その大きな理由は3つあります。

 1つは渋谷や新宿の再開発が一段落したため、目新しさがなくなり、むしろ「人が多くて危ない場所」という印象が強くなっていったことです。

 渋谷や新宿は街中を移動するのがとても大変です。筆者の個人的なイメージではありますが、新宿は東口と西口の間が移動しづらく、東口は人も多くて歩きづらい印象です。渋谷も駅周辺はともかく、センター街の方へ行けば街路が入り組み、どこへ行ったらいいのかわからなくなってしまいます。

 対して池袋は「駅袋」と言われていただけあり、駅の周辺の移動はとても楽で、JRであればどの改札口から出ても大きく遠回りになることはありません。こうした移動のしやすさは池袋の大きな魅力です。

 2つ目の理由は池袋が「気張らなくてもいいまち」として注目されてきたことです。池袋を語る資料を見ていると不思議と「普段着」という言葉がよく見られます。「地味」「ダサい」というまちのイメージはマイナスのようですが、裏を返せば「気張らなくていい」というまちのイメージを形成していったのです。

続きソース

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190624-00010000-metro-life


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